未来のために、いつまでも白くあれ
子どものころから感じていたことだが、
たとえば、中学校のころ、不良グループに属すると、
それまで赤子のようだった男の子が、
いつの間にか髪を茶色に染め、タバコを吸い、悪さをする。
はたまた、それまで女の子だった人が、
年上の人と付き合い始めると、化粧をし急に大人っぽくなる。
みな、周りに影響されて生きているんだな~と当時の僕は思っていた(と思う)。
それが良い方向に働けばいいのだが、
なぜだろう、、、
人は悪い方向、もしくは楽な方向に流れる。
子どものころはそれでも良かった。
なぜなら、悪くなった理由やきっかけが、
純粋だからだ。
親に愛されないとか、彼女に振られたからとか、
あいつになめられないようにとか、
まあ、かわいいものだ。
しかし、大人になってから、周りに影響されて、
悪い方向に、いや、悪いとまでは言わなくても、
なんだか不気味な人(負のオーラが漂っている人)になった者たちは、
自分がそうなってしまったことを、
いっけんすると、正論にみえる文脈で自分を正当化しようとする。
例えば、
皆がそうしているから、
会社のため、
家族がいるから・・・、
組織の中で自分にはどうすることもできない・・・
いや、なかには、これが国のためなんだ、などと言う者もいる。
彼らは気がついていない。
それは自分を擁護するために、
他人をダシにしていると言うことを。
こんな人が多い。
自分が汚れてしまった理由を、
組織や他人、はたまた家族のためなどと言い、
自分は安全な場所で、雨風をやり過ごす。
こう言う人たちを見ると、
僕は悲しくなる。
文頭に、子どもが不良になる例を出したが、
そう言うとき教師たちは、こう言う。
みんなと同じことをしろ、
和を乱すな、
目立つな、
問題は起こすな、
お前はまだ学生なんだから教師の命令は絶対だ!
決まりは決まりだ!
などと、とうてい教師とは思えないことを言う。
高校生の頃、いつも疑問だったが、
大人になって理解した。
これは、資格制度の中で教師と言う免状をもらっただけの、
世間知らずの、学生の延長線上レベルの、
おおよそ、人に指導できるようなレベルの人間ではないからだと。
持論だが、教師は人が体で直感的に納得できるような説明ができなければ、
教師とは言えないのではないか。
先のような理由でしか生徒に説明できないのは、
ようは、その教師たちが送ってきた人生を、
中身なく正当化しようとし、
その愚かな生き方をまねさせようと、つまり愚かな仲間を作ろうと必死なのだ。
脱線したが、この国の教育現場はいま、大きな問題をはらんでいるのは事実だ。
それを制度や組織と言う人もいるが、
本質的にはそうではない。
そこにいる、一人ひとりの教師の質が低いのだ。
彼らは、制度や組織に甘んじ、努力を怠り(努力と我慢を履き違いえている者が多い)、
本当は、世間の誰よりも正義を貫かねばならない立場なのに、
黒く染まってしまったのだ。
思想、宗教、生き方は自由であろうし、
きれいごとを並べる前に、今を生きることも切実に大切なことだろう。
しかし、それだけでいいのだろうか。
君が所属する組織や人間関係、もしくはその人生の流れが、
仮に良くないものだったとしても、
君自身が『黒』になっていいと言うのは、
まったく通らないだろう。
生きると言うことは決してきれいごとではない。
それは分かる。
しかし、今の君は、本当の努力をしたのだろうか?
極端な話だが、
ユダヤ人を大量虐殺したのは、ヒトラーの命を受けた、
一人一人の兵隊に他ならない。
でも彼らは命令だから・・・と言う。
※もちろん中にはそうでない人も多数いたことだろう
上司、組織の命令だから、そう言う慣習だから、
悪いと分かっていてもそれに服従すると言うのはおかしい。
みんなが黒だから、自分も黒でいいと言うのは、
場合によっては、無意識上の悪である。
警察の裏金作り、天下り問題なども同様な構図だ。
法律でダメと定義されていないから、
それをやっていいなどと考えているのであれば、それこそ救い難い
では、君が黒の世界に住み、それでも黒にならない方法はなにか?
悪に染まらず、正義を貫くためにはどうしたらいいのか?
簡単なことだ。
5代、10代先の子孫を想って、今を生きることだ。
そして、君の顔と名前と家族が世の中に晒されたとき、
胸を張って、立っていられるかと想像すればいい。
人は、そのへんに転がっている動物のように、
昨日も明日もなく、今だけを生きているわけではない。
10年100年1000年先を想像し生きることができる。
原発問題も、政治の問題も、
今あなたの目の前にいる子どもに対する接し方にしても、
あなた自身の日頃の振る舞いにしても、
未来を見据えて考え、行動すれば、
それは、黒に染まらず、純粋な白となろう。
悪に染まらず、正義を貫けるだろう。
もし君が、正義の道を踏み外しそうになったならば、
体を鍛えればいい。
肉体鍛錬は、心の浄化、魂を磨くことでもあるからだ。
そして、悪を振り払い、
澄んだ、新しい気持ちで毎日を送ればいい。
私が毎日鍛錬をしているのは、筋肉が欲しいからではない。
悪に染まらないように、
日々、魂を浄化しているのだ。
目先のことも大切なのは分かる。
しかし、人はいつか死ぬもの。
ならば、未来にバトンタッチできるような生き方をすべきだろう。
子孫に永く語り継がれる人物であろうじゃないか。










コメント
この文の真髄、興味深いです。
投稿: pml takii | 2012年4月 3日 (火) 01時26分
純粋に惹き付けられ、考えさせられました。
投稿: takii pml | 2012年4月 3日 (火) 01時32分