まるで申し合わせたかのように、
それは素早く、合理的で、淡々と進んでいく。
それでいて、無機的ではなく、有機的な流れを感じる。
外はまだ暗い。
AM:3:00
男たちは、二言三言話したように見えたが、
それは会話と言うよりも、
例えば、散歩ですれ違ったご近所同士が、
やあ、と挨拶を交わす程度のもの。
それ以外のことは、特に何も話さず、
船の中を所狭しと動いている。
男は二人。
一人は船の後方でハンドルを握り、
もう一人は、通称バンジョウカゴと言われる、
大き目のダンボール箱くらいの大きさの、とても頑丈なカゴに、
親指が通る程度の網目の網をかぶせている。
これにホタテを入れるのだろう。
そう、今僕は、ホタテの水揚げに初めて参加している。
船は真っ暗闇の中を、まるで、そこにレールでもあるかのように、
無駄なく、最短で、目的地へ向かっている。
具体的にどこが目的地かは、今の僕には分からないが、
ただ言えることは、この船に乗っていて、
不安と言うものを感じないことだ。
遠くに町の灯りが見えるが、
自分の周りには、ほとんど何も見えない。
感じるのは、船が波を砕く音と、
300馬力のディーゼルエンジンのうなり声。
僕は今、海の上の、ほとんど頼りない存在。
今ここで、船を奪われ、一人になったのなら、
おそらくそれは死を意味するだろう。
自分の運命を、自分でなんとかできない、
そう言う状況である。
しかし、不思議なことに、そんな風には感じない。
それは二人の男たちのテキパキとした動きが、
この状況が、いつも通りだと感じさせてくれるからだろう。
出発してから10分程度だろうか、徐々にエンジンの回転が落ちた。
目的地が近いのか。
船内は急に慌しい雰囲気に変わった。
操縦をしていた男は、寸分の狂いもなく、
大型トラック以上に長い船を、
ホタテを養殖しているロープの傍に寄せた。
あたりには明かりなどない。
どうやってそこを見分けたのか。
後で聞いたのだが、
「感覚」だと言う。
それを聞いて、日々の自分の「無感覚さ」を恥じた。
さて、話しを戻そう。
その男は、一体いつ、その道具を持ち出したのかさえ気づかないほど見事に、
ロープに引っ掛ける鉤を海に投げ入れ、
テキパキとそれを引き上げる。
もう一人の男は、船のへさきのほうで、同じような作業をしている。
数秒後、養殖棚(ロープ)が船の縁まで持ち上がり、
ホタテを吊るしているロープが目の前に現れた。
位置関係としては、船と養殖棚は並行になっている。
一応説明すると、
海中には、2~3トンの錘が100m以上の幅で置かれ、
錘には強靭なロープが繋がれ、それが海上方向に伸びている。
その先端には、同じく強靭なロープが結ばれ、
二つの錘を軸に、海上にロープが張られる格好となる。
このロープにホタテなどを付けた養殖用の細いロープを下げ、
海産物によっては、1年から4年まで、海に吊るしておく。
今、そのロープを引き上げたのだ。
無論、人力では到底持ち上げることは不可能であり、
それには300馬力のディーゼルエンジンの動力を使う。
さて、男たちは申し合わせたかのように、なんの不自然さもなく配置に着いた。
僕もそれを見習い、配置に着いた。
しかし、一人の男は、どうやら僕の動きに不安があるらしく、
こうだの、ああだの、指示を出してくる。
ただしそれは、手取り足取り教えてくれる、と言うものではなく、
怪我をするなと言うことと、
ざっと、流れを伝えてくれただけだ。
漁師の世界で思うことは、
やってみて、怒られて、試行錯誤して、
体で覚えることが基本だと言う事。
だから、積極的に動く者、頭とセンスの良い者、
努力を積み上げられる者が成長する。
それができない者は、いつまでたっても半人前なのである。
だから、ある種の身分みたいなものが出来上がる。
仕事のできるものは尊敬されるし、
仕事のできないものは軽んじられる。
このような方法論を非効率と考えるか否か。
多くの人は、これに不安を覚えるだろうが、
私はこのような方法論こそが、
現代日本人に必要なことだと感じている。
多くの人は、手取り足取り教えられ、
定められたレールの上を歩き、
自分で考えることをしない、
言われないと動けない、
無駄なことはしたくない、
流れや雰囲気と言うものを感じない。
特に積極的に動けない人が多い。
そのような人に、なぜ動かない?と聞くと、
邪魔になるかと思って・・・などと言う。
確かに邪魔にはなるが、
それを乗り越えないと、成長がないのだから、
この場では、それは言い訳に過ぎないのだ。
こう言う人たちは、まさに場の雰囲気が読めていないのであり、
おそらく、日常でもそのような傾向にあるのだろう、と、ついつい穿った見方をしてしまう。
誤解を恐れずに言うなら、
君の代わりはいくらでもいるよ、と言う人間ばかりだ。
言葉が過ぎるが、ここ数年、本当にそう感じる。
話しを戻そう。
二人の男のしていることを真似て、僕は手を動かし続ける。
男たちは、手元に集中しているように見えるが、
僕が違うことをしていると、アイコンタクトを送り注意してくる。
エンジンの音がうるさいので、言葉は聞き取れないが、
不思議なことに、何を言いたいのか分かる。
正確に表現するなら、頭で分かると言うよりも、
体で感じると言ったほうが適切かも知れない。
ホタテを海から引き上げて、それを機械に通すと、
ホタテの殻についた海藻類や貝類が取れてきれいになる。
その機械にホタテを投入したり、
機械から飛び出てくるきれいになったホタテを、
先ほどのバンジョウカゴにつめる。
ホタテを満載したカゴの重さは60kgを超える。
二人の男は、布団でも持ち上げるかのように、
気軽にそれを持ち上げる。
僕はうまく持てない。
悔しいから、ムキになって持ち上げると、
男にケラケラと笑われる。
悔しいから、また持ち上げる。
しかし、嫌な気分じゃない。
むしろ心地がいい。
今僕は、海の上で、
ベテランの漁師たちにまざって、
その作業の流れの一部になっている。
しばらくやっていると、全体の流れをつかめてきた。
細かいところは、まだまだなのだろうが、
まずは注意される回数が減ってきた。
とにかく、その男たちの動きを見て、忠実に真似をする。
そのうちに、なんとなくだが形になる。
まるで子どもが言葉を覚えたりするのと同じ。
まずは、間違えても関係ないから、積極的に真似をする。
その無駄の繰り返しの中で、徐々に形が出来上がっていく。
そうか、漁師の世界のものの教え方は、
教育論とか、頭でっかちなことではなく、
人間の本性に順ずる、非常に有機的で、無駄のない、
そして質の高い方法なのだ。
個人の努力次第で、高い能力を身に着けることができる。
ふと気がつくと、あたりは明るくなっていた。
東の空には、神々しいまでの朝日が昇る。
いつの間にか僕は無心になり、景色の一部になっていた。
よく見ると、周囲に何艘か船が見える。
そのどれも、同じような作業をしているのだろう。
漁師の世界で何かの実感を得たい。
その想いだけで、いま僕は海に出ている。
少しは何かを掴めただろうか。
いや、1年やそこらでは、難しいだろう。
男が口を開いた。
「ほれ」
っと、缶コーヒーを渡された。
知らぬ間に作業は終わっていたようだ。
「空、めちゃくちゃ綺麗ですね」
僕がそう言うと、
「んだな」
と、男は、さも当たり前だろうと言いたげな表情で相槌をした。